雑記

自分は労働から疎外されてしまっていて、他人はその感じを味わっていない。それが悔しい。

自分は弱いだけで、苦しんでいるだけなのに、そのことをもって他人を見下す。

自分を軽々と飛び越えていく他人たちが、憎くて仕方がない。

そして、さらに悔しいことに自分を飛び越えていく一般的な人間が楽しんでいるものは、自分にとって全然面白く感じない。

これでは同じところへいけても・・という気持ちだ。

弱さゆえに苦しんでいるだけなのに、自分を誠実でよい人間だと思ってしまう。

ニーチェが一番痛烈に批判した人間に、自分がなってしまっている。

 

自分にとって働くことはバカにされるのと同じだった。

そうなっている自分、そうなっていない他人。そこの差。

 

自分が他人より劣っているという感覚が常にあるがゆえに、何かで他人より優位に立たなくては、と脅迫的に思うようになる。

劣っている自分を直視できない。

他人に敏感になって、叩いたり、チェックせずにいられない状態から抜け出すには、徹底的に世にもまれて、堕ちて、堕ちつづけることが大事だ。

坂口安吾もこんなこと言ってたきがするし。

 

自分は他人をものすごく気にする。自分の価値観を他人の価値観、社会の価値観にあわせようとする。それがつらくなる。

社会や他人を過大評価していて、どんどん こうすべき とかの価値観でかためて、そこから逸脱する人間に嫌な感情を抱くようになる。そういう人間のほうが自由なのに。

自分の想定する 他人がこう思うだろう、という予想の正確さを担保しているものはなにもない。単なる思い込みにしばられる。

 

思い込みの他者にしばられないように。

 

何か、不運なことがあったときに、自分は卑屈さゆえ、「どうせこんなものなんだ」と諦めて、それを中心にしてしまう。

それだと、最初の一発 がうまくいかなかった場合、とりわけ自分のように不器用で最初の一歩が下手な人間の場合、どんどんやることが少なくなってしまう。

卑屈さをどう消すのか。

 

どうすればまっすぐに傷つくことができるか、卑屈なしにどう反省するのか

日々気をつけるというか、そこを中心にして学びたい。

 

考えたら弱くなってしまうこと

考えたら強くなれること

その見分け

 

プラスの意味で夢中になれるものや、熱くなれるものや、目標がないと、ひとまず自分に嫌な感情を与えた人間をどう苦しめるか。どう見返すか、ということばかりになってしまう。

マイナスをゼロに、損を埋める作業しかしなくなってしまう。

そしてそればかりやっていると、今度はほんの僅かな損さえも気になっていく。

それじゃ頭がおかしくなる

だから熱くなれるものを追っかける気持ちが大事になってくるんだろう。