普通のこと

昨日書いた話にもちょっと関連するんだけど、加藤の秋葉原通り魔殺人事件について考えた。

ザ・ノンフィクションでやっていたからね。

加藤は、3回くらいトラックで突っ込もうとして、やめていたらしい。そんで4回目くらいに突っ込んで、降りて、ナイフ殺しまわった。

 

ナイフを買うとき、世界観を変えてくれるような出会いがあれば、事件はおこらなかったんじゃないだろうか。

追い込まれた人間は、世界観を変えるような出会いを求めている。

それは、簡単なので言えば、救いの女神のような女性であったり、違う世界をみせてくれる友達であったり。

結局、他人に頼るしかないのだ。精神的に追い込まれたら、自分で自分は治せないだろう。

直接的な他人との触れ合いではなくても、たとえばある物語をきっかけに、自分を変える人もいる。

そういう人も、物語をつくった他人に、助けてもらっている

自分を生かすも殺すも、他人が関わっているということだな。

 

ワシは、物語は信じるけど、他人は信じない、という矛盾したスタンスをとっていた。でも、物語の裏には必ず他人がいる。当たり前だが。

また、ワシは何かを熱く語りたいという欲望もある。ワシが、というより、社会がそうなってほしい。そして、それが当然の社会に参加してみたい。

 

また、ちゃんと、安心して生きるには、自分で自分を肯定したり、評価したりしないとダメだろう。

相手に褒められて、初めて自分を評価する、という方法でもいいが、ワシのような人間は相手に褒められることが少ないので、そこを他人に任せるのではなく、自分のフィールドにするのが大事だ。

 

難しい、他人を信頼することと他人の言葉を真に受けないこと。

他人の表情や、言葉を真に受けないプロセス。

考えていくしかないんだろう。