他人は審査員ではない
自分は、他人に振り回されて生きてきた。
実際に振り回されたのではなく、自意識の中で勝手に他人を暴れさせてしまう。
他人を上に感じすぎているんだと思う、逆らっちゃいけない、みたいに。
脳内の他人にいつも審査をさせていた。
それはもうやめだ。
他人は審査員ではない。
徹底的に見下すことはないだろうけど、他人は審査員ではない、審査員はお前じゃないんだよ、くらいは見下していい。
神経質に見下す必要はないけど、基本的に結構見下してていいんじゃないかと思う。
よく、見下す人は心が寂しくてかわいそうな人というセリフがあるけど、見下せなくて他人の審査の奴隷になっているほうがよっぽどかわいそうな人だと思う。
見下すのって悪くない。
他人を見下すことで、自分に余裕ができる
綺麗な異性を見た時も、クソだろうな、と思えばいい。
卑屈な見下し方はだめだ。
例えば、どうせセックスしかやってないんだろうな、という見下し方は、俺がセックスをしていない以上、俺の気持ちをわかってくれ、察してくれということになってしまう。
それじゃだめだ。
だいたい自分の他人像はフィクションからきていて、それは現実と差が結構ある。
現実の他人はそういう大事なことを察することはない。なのにクソみたいな無駄な気遣いをするのに必死だ。
そんなやつらに審査を任すことはできない。お前らはその座からおりろ。
審査はおれがやる。