女は死んだ

ツイッターでも言ったけど、飯やお菓子をわざわざスマホで撮るような人が増えて、ワシは、呆れている。

本来カメラなんてしょうもないものだと思う。ベンヤミンは芸術作品にやどる一回性をアウラ(オーラ)と言ったが、それはコピーするとなくなるものだ。
カメラなんて風景という芸術の一回性を完全に壊すもので、自然の摂理に反する。これによって一回性がなくなってしまった。
まぁそれは仕方ない。カメラによって恩恵を受けることもあるだろう。

しかし、カメラで風景のみならず食べ物をとる女が増えすぎている。
やつらはもはや畏敬の念をもって撮っているのではない。
snsで自慢したい、これのみで生きているのだ。

スマホのカメラを覗き込むやつらの目は誠に醜悪である。一緒に食べるだれかのことを完全に忘れ、頭の中にはsnsでどういう文章を添えようか、そんなことばかりである。
彼女らの虚ろな目がそう言っている。

ワシは、そうした虚ろな目でスマホを覗き込む女性を見るたびに、(古き良き)女性はもう死んでしまったのだな、と思い、涙が流れるのをこらえるのである。

こういう細かい絶望が積み重なって、どんどん晩婚化が進むのだとワシは思う。